パーソナルトレーナー平野貴久のHPをご覧いただきありがとうございます。

このページでは私 平野について書いていこうと思います。

多少長いのでご興味のある方のみ覗いて行っていただければと思います。

パーソナルデータ

名前: 平野 貴久(ひらの たかひさ)

生年月日: 1986年(昭和61年)6月13日

出身: 神奈川県

保有資格: 

NASM -PES(全米スポーツ医学アカデミー パフォーマンスエンハンスメントスペシャリスト)>パフォーマンス向上の専門家資格

NASM-CES(全米スポーツ医学アカデミー コレクティブエクササイズスペシャリスト)>改善エクササイズの専門家資格

オーソモレキュラーアカデミー認定分子栄養学アドバイザー

趣味: 

○NBA観戦

中学時代からずっとハマり続けています。コービーブライアントが大好きで当時からずっとロサンゼルスレイカーズファンです。いつかステイプルズセンター( 現クリプトドットコム・アリーナ )でレイカーズvsセルティックス戦を観ることが夢です。

○NFL観戦

トレーナーとしてアメフトに関わってからはずっと好きでチェックしています。東京ドームで行われたNFLの試合は観戦しましたがやっぱり本場の巨大なスタジアムで観てみたい!

○ラグビー観戦

高校ラグビーに関わるようになってから大好きになり、常に色んなカテゴリや色んな国の試合をチェックするようになりました。2019年の日本でのワールドカップではオールブラックスのハカを生で拝めました。最高の思い出です!

○ウエイトトレーニング

20年以上継続しています。おそらく高校時代より前の友人は今の身体を見たら驚くはず…60kgのガリガリから今では90kgまで増えました。なによりも重たいウエイトを挙げられた時の気持ちよさは何にも変えられません

○サウナ

以前から銭湯にはよく行っていましたが近年のサウナブームとともに「ととのう」感覚に取り憑かれてしまいました。今ではサウナマット・サウナハットを持参してのサウナ→水風呂→外気浴を3セット、温水浴・冷水浴の交代浴を3セットが毎週の日課になっています。

○深夜ラジオ

いつ頃から聴き始めたかわからないくらい前から聞き続けています。特にお笑い芸人さんのラジオ(オールナイトニッポンやTBSジャンクなど)を毎週欠かさず聴いています。芸人さんの話術やハガキ職人と呼ばれるリスナー達の天才的な思考にいつも笑いで癒されています。

生い立ちからトレーナーになるまで

幼少期

1986年6月13日、神奈川県川崎市に生まれました。

幼少期を思い出そうとしてもあまり面白いエピソードはなく…

4つ上の兄といつも外で走り回るような生活をしていた記憶ぐらいしかありません笑

住んでいた団地では他にもたくさんの子供達が近くにおり、

常に目の前の公園に行けば誰かお友達がいて、

いつもその場で何か遊びが始まる…そんな環境で育ちました。

小学校

小学校に入る頃には兄の影響で野球をはじめます。

野球自体が特別上手いわけではなかったのですが、

運動全般が得意で、毎年リレーの選手に選ばれていました。

身長も高かったのもあり、

体育をはじめいろんなスポーツで活躍できるのが楽しかったと記憶しています。

早くも誘惑に負ける

ただ小学校高学年になり、

野球や水泳などのクラブ活動に時間を割かれるのが嫌になり、

色んな習い事をサボるようになります。

運動自体は好きだったのですが、

ミニ四駆、ポケモン、ハイパーヨーヨー、ビーダマン、ドラクエ、FF、コロコロコミック、ジャンプ…

この頃の小学生には誘惑が多すぎました。

他の遊びの時間が奪われるのが嫌で当時の私はそちらを優先してしまいました。

今思えばスポーツ選手としての大事なゴールデンエイジと呼ばれる、

運動能力が飛躍的に上がるとされる時期を見事に逃してしまっていたなと後悔しています。

中学時代

バスケ部入部

中学生になり部活動入部が必須だったため、

何か運動系の部活に入ろうと考えました。

その頃はスラムダンクやマイケルジョーダンの影響でバスケ部が大人気。

私もNBAファンだったこともあり、

バスケ部に入部します。

しかしここでもサボり癖が発動します笑

バスケットボールは走り続けるスポーツですので、

練習でも常に走り続けます。

一番嫌いだったのは練習最後に行われるシャトルラン※。

※バスケットコートで往復ダッシュを繰り返すトレーニング

これが本当に嫌で嫌で…。

バスケは好きだけど走るのは嫌…そんなわがままな選手が大成するはずもなく、

数ヶ月の在籍期間で練習試合を含めた試合経験は皆無でした。

衝撃と迷い

そんな所属していたバスケ部での初めての夏の大会。

それまで対外試合にも参加していなかったので、

チームがどのくらいのレベルにあるのか理解していませんでした。

市の大会の1回戦、相手は近所の中学校。

顧問の先生も先輩達もみんな情熱的に練習してるし、

あんなに走りこんでるし、

絶対に市大会レベルで負けることはないだろう…

とそんな気持ちで応援していました。

するとなんと、

けっこうな大差で負けているではありませんか

残り3分くらいからコート上の先輩の1人が泣き始め、

応援していたベンチのメンバーも数人泣いている。

そんな中、私はショックを受けていました。

「えっ?そんな弱かったの?」

「えっ?あんなに走ったのに?」
「えっ?あんなに練習しても県大会行けないの?」

絶望でした。

それからの練習には全く気持ちが入らず、

あんなに好きだったバスケもだんだん嫌いになります。

次第に練習もサボるようになり、

1年生の冬には完全にドロップアウトしてしまいました。

フラフラ期と救いの手

バスケ部をやめてからは少しの間ふらふらします。

同じバスケ部の同級生に会いたくない気持ちから登校拒否気味になったり、

同じ地域の悪い友達と遊ぶようになったりしました。

そんな時、小学校からの友達が救いの手を差し伸べてくれました。

「いっしょにバレーボールやろうよ!お前だったらすぐレギュラーなれるよ!」

中学1年生の終わり頃で170cm程あった身長と、

ジャンプ力には自信があった私はその誘いに乗ります。

当時いた中学校のバレー部は神奈川県でもベスト4に入る強豪校。

関東大会でもその大会で優勝したチームとフルセットの激戦を経て敗戦したほどのチーム。

バスケ部時代には同じ体育館で隣同士になることもあり、

どんな雰囲気で練習しているかもよく知っていました。

先輩達はみんなスマートで、

キレのいいスパイクをバシバシ決める。

練習自体きつそうじゃないし、

なにより走り込んでいるところを見たことがない!

自分の居場所はここなんじゃないかと確信しました。

バレーボールに熱中

バレー部では初心者ながらもすぐに頭角を表します。

翌年2年生の夏にはレギュラーで試合に出場。

背番号2番をつけてスパイクにブロックに活躍し始めます。

ただバスケ部時代からのサボり癖が祟り、スタミナはゼロ。

すぐにバテてしまうような貧弱プレイヤーでした。

また体育館で走り込みをしていることなんて一度も見たことなかったバレー部。

バレーボールだって持久力は必要です。

実は体育館が使えない日に、外で走り込むタイプのチームだったのです。

騙されたと思いつつ、レギュラーの責任で走り込む毎日。

3年生になり色んなレベルのチームと試合をする中で、

より高いレベルでバレーボールがしたいと思うようになります。

高校時代

高校へは全国大会出場経験もあるバレーボールの強豪校へ推薦入学で入りました。

中学の部活引退後からはVリーグや国際試合を見に行ったり、

トレーニングの本を買って自分なりにジャンプ力向上のトレーニングをしてみたり、

次のレベルへの準備のために希望に溢れた時間を過ごしていました。

入った高校の部活では強豪校だけあって周りのレベルもとても高い。

切磋琢磨しながら部活中心の生活でした。

大怪我と出会い

そんな中、腰椎分離症という大きな怪我を経験します。

ジュニア世代に多い怪我で、数ヶ月のリハビリを要します。

この頃には身長の伸びもほぼ止まっており、

大学などの上のレベルでのプレーは厳しいだろうなと感じ始めていました。

将来のことを考えていたその頃、中学時代に買ったトレーニング本を何気なく開いてみました。

その本はジャンプアタックというジャンプ力向上のためのトレーニングを解説したもの。

著者はティムグローバーというマイケルジョーダンやコービーブライアントなど、

名だたるNBAスターをサポートしてきた凄腕トレーナーでした。

その本の巻末にはティムグローバーがこれまで歩んできた道のりが書かれていました。

トレーナーを志したきっかけ、

若手の頃に勉強したことや経験してきたこと、

スター選手をサポートするまでになった経緯など、

当時の私は感化されまくりました。

これ以降、選手の可能性を伸ばすことができるトレーナーに憧れ始めます。

トレーナーを目指し専門学校へ

高校卒業後はトレーナーを目指し専門学校へ入学します。

当時は相模原の自宅から片道2時間かけて文京区にある学校へ通う毎日。

今思えばなかなかきつかったですが、

学校自体は本当に楽しくて夢中で勉強していました。

大学アメフトでの現場実習

1年生の後半からは現場実習がはじまります。

私は大学のアメリカンフットボール部で実習をさせていただけることに。

現場実習と言っても先輩トレーナーの方が現場にいるわけではなく、

我々実習生が中心となってチームのサポートをするという形でした。

練習の始まる2時間くらい前から選手のテーピングや氷の準備、

練習中は怪我人の対応やリハビリ、

練習後は選手のケアを手伝ったり、個別トレーニングに付き合ったり。

週6回の練習全てに参加し、

学校以外の時間のほとんどを現場の実習に費やしました。

トレーナーとしての基礎を作った2年間

今思えばこの頃の経験がとても大きいなと感じます。

テーピングは時間との戦い、

無茶振りで突然トレーニング指導を請け負ったり、

きついラントレーニングを行う際には、

なぜやるのかをうまく説明できなければ容赦ない罵声を浴びます。

もう戻りたいとは思いませんが、本当に良い経験だったと思います。

社会人アメフトのトレーナーへ

卒業後は社会人アメフトチームでトレーナーとして働き始めます。

そのチームはクラブチームで土日のみの練習。

しかし関東社会人アメフトリーグの1部に所属していたこともあり、

選手やコーチ、トレーナーも一流の方ばかりでした。

学生時代とはまた違ったレベルの高い環境で、

色んな人の出会いが本当に楽しかった。

在籍5年間で得たもの

このチームには5年間在籍しました。

3年目からはトレーナー内でもリーダー職を任せられます。

最後の年にはヘッドトレーナーとしてチームの長を任せていただきました。

この頃は毎日が試行錯誤で、

毎週毎週トレーナー達で長い時間をかけてミーティング。

どうすればより良いサポートができるか?

本当に密な時間を過ごさせてもらったと思っています。

今でもこの頃のメンバーとは連絡を取り合う仲で、

切磋琢磨できる素晴らしい仲間だと思っています。

高校バレーチームへ

運命的な再会

社会人アメフトチームでトレーナーをしていた頃、

先輩トレーナーの誘いで、ある大学のトレーナー研究会の合宿に参加しました。

長野県の竜王で行われていたこの合宿は、

夏休み期間中に竜王周辺に来る色々なスポーツ選手向けに、

学生がトレーナーとしてサポートをするというもの。

数日間参加したこの合宿で運命的な出会い(再会?)をします。

泊まっていた合宿所で朝風呂に入ろうと思ったその時、

ふと浴場をみると見たことのある人が。

それは高校時代のバレー部の先生でした。

「あれ?お前なにしてんの?」

突然の再会に驚きながらも、

今トレーナーとして働いていること、

偶然この合宿に参加していたことを伝えると、

「今うちの選手が足首捻挫してて…テーピング巻いてもらえないか?」

と言われ、選手を見ることになったのです。

のちにこの高校バレーチームは数年間トレーナーとして関わることになります。

今思えばこの時の再会がなければ、高校カテゴリでの経験もなかったかもしれないなと思うと運命的だなと感じています。

高校バレーのチームでトレーナー活動

運命的な再会からこの高校バレーのチームをサポートすることになりました。

ほぼ無給ではありましたが、

春高バレーやインターハイ、国体など大きな大会に帯同させていただき、

本当に今でも素晴らしい経験だと思っています。

夏休みの4日間を丸々もらってトレーニング合宿を任されたこともあります。

選手達にとっては苦しい4日間だったと思いますが、

中日にみんなでソフトボールをやったり、

プールで死ぬほど泳いだり、

終わりのないラントレーニングを楽しくやらせてもらいました。

大学アメフトチームへ

社会人アメフトチームを退団後は大学のアメフトチームで働き始めます。

以前はアスレティックトレーナー(AT)といって、

スポーツ現場の怪我人の対処であったり、

テーピングやリハビリの実施を中心とした仕事を行なっていました。

このチームではストレングス&コンディショニングコーチ(SC)といって、

ウエイトトレーニングやフィールドでのトレーニングの実施や立案、

測定などを行なってチームのフィジカルアップを図る役割を担っていました。

チームの力になっているという実感

学生時代やその後に所属した社会人アメフトチームでは役割の違いもあり、

自分がチームの戦力アップに直接関われているという実感はありませんでした。

このチームでは自分で考え、自分でトレーニング計画を立案し、

自分が変えていくという立場で働いていました。

トライ&エラーを繰り返すなかで、

チームが良くなっていくのを実感できたのがとても楽しかったです。

チームは2年目のシーズンの時に2部リーグから入れ替え戦で勝利し、

1部リーグへの昇格をすることができました。

学生スポーツの可能性、楽しさを実感できる素晴らしいシーズンでした。

また同じストレングスチームの学生たちが本当に何事にも一生懸命で、

刺激をもらったと同時にトレーナーとしての本質を思い出せた4年間でした。

新しいチャレンジ

大学のアメフトチームを退団した後、ご縁があり高校のラグビーチームにアスレティックトレーナーとして入ります。

正直ラグビーはルールも知らない、トレーナーとしての動きも全くわからない状態で飛び込みました。

このチームは全国レベルの強豪校で、

練習日は毎回必ずトレーナーが常駐するという、

日本でも有数の環境を持つチームでした。

Facebookの知人が募集をかけているところにすぐ連絡をして、

連絡の翌日に顔合わせ、その翌日からサポート開始、

めまぐるしいスケジュールの中スタートした挑戦でした。

ラグビーはタフそして知的で紳士なスポーツ

ラグビーはフィールドに出る選手の数が球技の中で一番多いスポーツです。

また防具はつけずに生身の身体をぶつけ合い、

高校生なら60分間走り続ける、とんでもなくタフなスポーツです。

高校カテゴリであっても驚くほど戦略的で、

タフなだけでは勝てない、とてもレベルの高い駆け引きが行われています。

基本的に選手達は試合中に監督からの指示をゆっくり受けることはできません。

そのため練習時から自分たちでコミニュケーションを取って、

その場で良い判断を下さなければいけません。

これが今まで経験してきたスポーツとは大きな違いであり、

とても面白い部分だなと思っています。

そんな選手達は精神的に自立した選手が多く、

人間的に尊敬できる子達がたくさんいます。

ラグビーチームでの経験

このチームには約4年間在籍しました。

日本中の強豪校と試合ができる夏の菅平合宿や、

寒い年明けの福岡で行われる裏花園と呼ばれるサニックス予選、

多くの高校生ラガーマンの夢である花園、

色んな帯同先でたくさんの学びをいただきました。

卒業生達の進学先での今後の活躍も楽しみの一つです。

今とこれから

2023年現在では競技チームでの指導はしておりません。

理由としてはより多くの方にコンディショニングトレーニングをお届けして、

私のミッションである

「食とコンディショニングで平穏な世界を作る」

を達成するためにいろんな事業を展開しようと考えています。

1対1のパーソナルトレーニングをはじめとし、

オンラインでのコンディショニングエクササイズのレッスン、

正しい食を広めるための情報発信、

まだまだ沢山の活動をしていきます。

今後も応援していただけると嬉しいです。

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